博士課程修了生に、「生きる糧」を

日本の教育システムでは、大学院の博士課程修了が最終地点です。大学を卒業し、大学院に進学して、博士課程を修了する、つまり、博士号を取得することは、教育システムの最高峰に辿り着いたということになります。
 
しかしながら、そういった博士課程修了生が活躍できる場、特に文系の場合、大学の教員になるなど、かなり限定的なのも事実です。しかも、その大学教員のポストは、ごくごく狭き門で、そのポストに就けるまで、博士課程修了後何年も、場合によっては10年以上かかることもあります。
 
せっかく時間とお金を費やして学んできたことが、その人自身の「生活の糧」として還元されないのも、また、世の中に還元されないのも、本当にもったいないことだと思っています。
 
去年、ほぼ最短年月で博士号を取得したAさん(20代。文系)も、「生活の糧」を得るのに苦労している1人。ほぼ最短で博士号を取れるということ自体、優秀な証ですが、現時点では安定した仕事が得られているわけではありません。何とかご自身の専門を生かせる仕事を見つけ、頑張っていらっしゃるようですが、職場でAさんに会った方から、その待遇(時給)を聞いて、おもわず閉口してしまいました。
 
ご本人は悲観することなく、前向きに仕事に取り組んでいらっしゃるのは良いことですが、本当にこのような状態を放置してよいのか、すごくモンモンとしています。
 
博士号を取得した方、特に若い方が、もっと社会で活躍できるようになるには、社会が受け入れてくるようになることに加え、Aさんのような、学問の世界に身を置いている側からの「歩み寄り」も必要だと思っています。
 
かくいう私も、Aさんと似たような状況なので、自戒を込めてそう思うのです。Aさんの待遇の悪さには閉口しましたが、それと同時に、これは自分自身の身に詰まる問題でもあると、はっとさせられました。そして、似たような状況にある仲間や周りの人たちも、そのままではいけないんじゃないかって思うのです。
 
もう何年もの間、どうしたら文系で学問を修めたことが、学問の世界だけで完結せずに社会に還元できるかを考えてきました。また、自分なりに、少しずつですが、社会に還元すべく行動してきました。

ですが、独りよがりではなく、仲間でやっていかないと伝わらないなって、Aさんの風の便りを聞いて、つくづく思います。

博士課程修了生が、様々な場で必要とされ、「生きる糧」を得やすくするために、私にできること、仲間とできることを、一歩ずつやっていこうと思います。